P.M. 23
これに限らず、日本の支援はすごすぎる。橋を作ったり、学校の先生を派遣してたり。
こんなに支援してたら、そりゃ親日になるわって思った。
あと、日本人として忘れてはいけないのは、3月11日の地震の義援金を1000万ドル(8000万)ぐらい送ってくれたのと、
翌日の12日に国王と国民が祈ってくれた。GDPで見ると世界でも最貧国なのに8000万円は半端ないわ。
日本政府には、もとブータンを大切にして欲しいし、マスコミにも扱って欲しい
hkdmz:

Twitter / @oritech: 最近なんとなくドリランドをやってるんだけど、この消費 …
私は子供にもっともらしい政治的発言をさせるのは少女売春と同じくらい嫌いです。子供は大人の口真似で何でも言います。戦争中は小学生に戦争の決意を言わせました。大人として恥を知るべきです。
どんなに精密な地図を持っていたとしても自分がどこにいるかわからないと意味が無い。自分がどこにいるかは他人が教えてくれる。他人が言ってる事を聞かない人間はいつまでたっても自分がどこにいるのかわからない。

Twitter / rapeme

あー、「幸せの青い鳥」と同じ話だ。最初から結論は出てるのだけど、それは他者評価を媒介にした自己評価でしか発現しない、という。

(via pdl2h)

(via gachap)

(via superneet, ne3)

(via s-hsmt) (via twinleaves) (via amiens2009)

(via haritenvy) (via gbender)

(via nobabaclip) (via mmqqbb) (via tiga) (via appbank)

市場主義という形があまり信頼されていない国は、日本以外にもいくつかあります。その特性を明らかにしたのが、ディ・テラ、マカロックという2人の研究です。

彼らの研究によれば、市場主義や資本主義を支持するかどうか国際比較統計で分析すると、価値観として大事なことがいくつかあるということでした

1つは、勤勉が成功につながるという価値観を人々が持っているということです。コネではなく、努力したら成功するという価値観が、市場主義に対する信頼をサポートするために重要だと。

もう1つは、汚職がないということです。公務員が汚職でおカネを渡せば利権をくれるというシステムだと、成功は努力と無関係であるという形になるわけですから、汚職はない、勤勉が大事だというこの2つの価値観がある国では、資本主義や市場主義を多くの国民がサポートしているという研究結果が出ています。

私は、彼らの論文を読んだときに、日本は勤勉を重視する国だったはずだから、彼らの説では説明できないのではないかと思いました。しかし、実際にデータを集計して驚きました。

人生で成功するためには勤勉よりも運やコネが大事だと思っている人の比率を見ると、05年の時点で41%の人がそう思っていました。多くの国を並べてみると、どちらかというと運やコネが大事だと考えているグループに入ります。これは非常に予想外でした

これを見て「なるほど。ディ・テラとマカロックの言っていたことは正しかった。日本人は勤勉ではなく、運やコネが成功するうえで大事なことだと思っている国に入っているから、反市場主義の国になっているのだ」と理解しました。

一方で中国は、運やコネが大事だと思っているのは25%。勤勉で成功できる国だと思っているのです。日本人の閉塞感は、大陸ヨーロッパで階級社会的な国、たとえばフランスやイタリアに近い。私は非常に驚いたと同時に、ディ・テラ、マカロックの研究に納得しました。

松下幸之助氏が京都駅からある料亭へ打ち合わせに向かっているときのこと。

隣に乗っている、最近松下電器にはいったばかりの秘書にこう言った。

「あのな、ここらへんは実はわしの土地なんや」

さすが大企業の社長、と秘書が驚いていると幸之助氏はさらに続ける。

「今からゆく料亭も、実はわしのもんなんや」

はあ、料亭も!と秘書が驚いていると突然幸之助が笑い出した。

「面白いやろ、君!そう考えたらなんか気が大きくならんか?」

これは冗談だったわけだが、幸之助氏は続けて秘書にこう諭す。

もしここらへんの土地が自分のものだったら、前を走る車も邪魔には思わないだろう。

自分の料亭の酒や料理は大事にしよう、と思うだろう。

自分の土地だからタバコを捨てたりしないだろう。

そして突き詰めて考えると「みんなのものは自分のもの、自分のものはみんなのもの」という哲学にいきつく。

私心一色になりがちな企業経営もそう考えると会社は社会のもの、という考え方ができるのだ。

秘書はこの一件で彼の経営哲学を聞いたのだった。

幸之助氏の指導にはこうした「こう考えるといいですよ、こう考えると楽ですよ」というものが多かったという。

468 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :2005/11/12(土) 13:54:10
 1「ネーム・コーリング」
   攻撃対象の人物・集団・組織などに対し、憎悪や恐怖の感情に訴える
   マイナスのレッテルを貼る(ラベリング)。
   メディアやネットによって繰り返し流されるステレオタイプの情報により、
   情報受信者は、徐々に対象に憎悪を深めていく。

 2「華麗な言葉による普遍化」
   飾りたてた言葉で自分たちの行為を正当化してしまう。
   文句のつけようのない・つけずらいフレーズ・正義を強調し、共感を煽り立てる。

 3「転換」
   さまざまな権威や威光を用いて、自分たちの意見や目的や方法を正当化する、
   正しく見せかける。

 4「証言利用」
   尊敬される・権威ある人物を使って、自分たちの意見や目的や方法が正しいことを
   証言・後援させる。

 5「平凡化」
   自分たちの庶民性や、情報受信者と同じ立場・境遇であることを強調し、
   安心や共感や親近感、一体感を引き出す。

 6「カードスタッキング」
   都合のいい事柄を強調し、都合が悪い事柄を矮小化したり隠蔽したりする。

 7「バンドワゴン」
   大きな楽隊が目を惹くように、その事柄が、世の中の趨勢であるかのように宣伝する。
   情報受信者は、それに従わないことにより取り残される情緒的不安を覚え、
   結局はその「楽隊」に同調していくことになる。

第二次大戦中、米国の宣伝分析研究所が情報操作の研究を行った結果編み出した、
政治宣伝のための7つの法則、だそうです。

アメリカ合衆国国民の80%はパスポートを取得していない。
50%は地図の中でニューヨークを指すことができない。
20%は世界地図の中でアメリカ合衆国を指すことはできない。

米国CNN視聴者の平均年齢 60歳
50%は原爆を落とした国がどこか知らない。
30%はホロコーストを知らない。

TBSラジオ ストリーム にて町山智浩氏のレポート

反知性主義がはこびる根幹にはキリスト教原理主義があるのだそうで。
聖書以外の知識を得るのはいかーんということらしい。

(via shike)

アメリカ人にとって、アメリカが世界であり、中心。旅行は国内旅行、でもNYやSFにいくのも人生のうち1回あるかどうかという土着型。だからアメリカほど世界をしらない国はない。だって「ハワイ?高いからいかない!」といってた。間違いなくハワイにいっているのは日本人が多い。

(via nakano) 一ヶ月ぐらい前のストリームで、アメリカには優秀な大学がたくさんあるけど進学するのは留学生ばっかりでアメリカ人はあんまり勉強しないって話も衝撃だった。あとはキリスト教原理主義の影響で避妊とかの性教育も全然しないって話も前してた。


泰: うーん、というか両極端な国。僕は日米両方の小学校と高校と大学に在籍した事があるけど頭の悪い奴はやばいくらい悪いし、頭の良い奴はとんでもなく良い。ドイツ留学生に対して「週末は実家に帰るの?」(そいつはドイツが近所の市だと思ってた)って聞いてる奴を見たこともあるけど、同じクラスに日本語含めて7カ国語しゃべれる奴とかいたし、高校の体育の時間にはダンクが出来る奴が必ず何人かいた。2メートル以上の身長の奴とか200キロ近い奴も普通にいたしビーガンもたくさんいたし生ものしか食べない奴とかゲイとか麻薬中毒者とか銃持ってくる奴とかが同じ高校にいた。生ゴミみたいな顔したデブ女とかアヴリル・ラヴィーンやナタリー・ポートマンみたいな美女とかマリア様なみに優しい女とかどうしても目が行っちゃうような爆乳女とか整形女とか全身タトゥー女とか黒尽くめ女が学年に何人もいた。大人社会は本当はもっと極端なんだろうけど触れるのはある一部の団体単位だから、そういった極端さを実感できるのは公立高校くらいなのかもしれないけど。大人社会を俯瞰してもシリコンバレーみたいな先端村(笑)もある一方、アフリカよりも未開拓地が多い国だし。キリスト教の原理主義者や白人至上主義者がいる一方アンチクリスチャンも同じくらいいるしアナーキストやアーミッシュやヒッピーもたくさんいるし、とにかく極端な国。民主党の支持基盤と共和党の支持基盤なんて共存してることが不思議なくらい違う。西海岸と東海岸では時差が3時間ある。日本のように平均的な趣味思考で平均的に礼儀正しく良く出来る国民とは色んな意味で比べたり判断するのは難しいんじゃないかな。アメリカにおけるちゃんとした社会人なんて数ある思想の1つにすぎないと考えるべきだと思う。

(via nanospectives)

2009-01-19 (via twinleaves, 4kshike)

(via carbondoubt)

(via nandato) (via jabberokkie) (via lj7stkok)

知り合いの劇画原作者に聞いた、ある病院での話。

そこの病院の某科部長は、新しくやってきた研修医のうちのひとりを、いつも「標的」にしていた。

カンファレンスでは、そいつがプレゼンテーションをするときには、これみよがしに厳しい質問をして、「お前はバカだ」と徹底的に責め立てる。

その一方で、他の研修医には、そんなに酷く突っ込みを入れずに「次までにちゃんと勉強しておけよ」と手加減してやる。

すると、どうなっていくかというと、

「ターゲットにされた一人を除く研修医」たちは、みんな、その部長を好きになるのだ。

アイツはいつもイジメられているけど、それはアイツが無能だからだ。ちゃんとすれば、あの人は優しくしてくれる。

そもそも、もし逆らったりして、自分が標的にされたら、大変だし……

そして、彼らは、部長と「仲良く」「和気あいあいと」して、「あそこの科は、いつも仲がいいねえ」なんて、病院の偉い人から一目置かれる。

傍からみれば、研修医に大きな能力の差なんて存在しない。

当たり前だ、まだ医者になって何カ月かの連中に、そんなに差がつくはずもない。

でも、部長は、その「接しかた」で、いかにも差があるように思いこませることができる。

「標的」には、人づき合いがちょっと苦手なヤツとか、口下手な人間が選ばれる。

周りの人間が、その人をいじめることに反発するような人間は、絶対に選ばれない。

能力を持たない者がそれを発揮できないのは当然だ。
 だから、能力の無い相手に向かって、「能力を出せよ」と言う人は少ない。
 背丈の足りない人に「背を伸ばせよ」と直言する人もあんまりいないし、髪の毛の薄い人に、「もう少し髪を生やすと若く見えますよ」とアドバイスする人間もまずいない。意地悪で言っているのでない限り。
 でも、意欲を失っている人を見つけると、人は平気で
「やる気を出せよ」
 と言う。
 言っても無駄なのに。
 それどころか、結果として逆効果になる場合も少なくないのに。